昭和40年工学部精密工学科を卒業してから早くも50年、半世紀になる。既にご案内のように、これを記念して去る10月29日~30日、日立市で第15回精密工学科同級会を開催した。以下、その概要を報告する。

1.祝宴
 初日の10月29日は日立駅前のホテル ザ スクエア 日立にて、午後6時より祝宴を開催。参加者は14名の予定が当日の緊急事態で2名が欠席、12名となった。会場の宴会場にはホテルのご好意により同級会の横断幕が張られ、全員で囲むテーブルには盛花が飾られ、祝宴にふさわしい華やかな雰囲気に包まれた。
 物故者に対する黙祷の後、前幹事の音頭により祝宴を開始。その後の近況報告では、いわゆる体調の話も多くあったが、自分のライフワークを持っている人、地域の役員やボランティアで活躍している人も多く、これらの人は特に元気そうにみえた。3分間の持ち時間もなんのその、遠方より久しぶりで参加された方は、相変わらずのひょうきんさで会場を沸かせた。
 和やかな歓談の後カラオケに入り、全員が思い思いの一曲を披露し最高の盛り上がりを見せた。最後に校歌を全員で合唱し中締め、3時間に及んだ一次会を終了した。
 続いて別室に移動して二次会。雰囲気が変わって改めて飲み直す人、既に出来上がって饒舌な人など、本当に賑やかな場となった。最後に次回の幹事を決め、再会を約束してお開きとなった。

2.母校見学ツアー
  翌日は朝9時20分にタクシーでホテルを出発、母校見学ツアーへ。多賀工業会館で機械工学科名誉特任教授、多賀工業会会長の塩幡先生のお出迎えを受け、早速学校の現状についてご説明を頂いた。
(1)平成2年の組織改正で精密工学科などの名称はなくなり、現在はほぼ全分野をカバーする今風の8学科になったこと、
(2)学生数は2800名に増え、そのうち約10%が女子であること、
(3)グローバルな人材育成のため改革が必要であり、かっての国立大学とは違う競争にさらされていること、
(4)同窓会多賀工業会としては、役員の高齢化と若い人の同窓会離れがあること、
などが分かった。
 その後キャンバスをご案内して頂いた。昔あった木造の建家はなく、近代的なビルがたくさん増設されていた。8階の部屋から眺める太平洋や日立の町並みは、まさに様変わりを象徴する光景であった。
 昔の痕跡を残すものは殆どないと思っていたが、意外にも旧精密校舎が昔を忍ばせる形で残っていたのには感動した。小平記念館も見学させて頂いたが、入口の記念碑にはかすかな記憶があった。学生の運動や部活の様子は窺えなかったが、構内の隅で見つけた赤い自動車の残骸は自動車部のものか、元自動車部のOBが昔を思い出して懐かしそうだった。運動場脇の並木は50年の歳月を感じさせた。
 最後に多賀工業会館に戻り、塩幡先生を囲み記念撮影をして、名残尽きない母校見学を終えた。個々の感慨は別として、50年の時の経過を実感し、後輩の今後の飛躍を予感する大変有意義な母校訪問であった。

3.吉田正音楽記念館と日立駅天空カフェ
 母校見学後、日立が生んだ国民栄誉賞の大作曲家吉田正音楽記念館を訪ねた。シベリア抑留中に作曲し後にデビュー曲として有名になった「異国の丘」を初め、1950年~1970年代の昭和歌謡曲の全盛時代を築いた足跡が、レコードジャケットや数々のトロフィーで展示されていた。「いつでも夢を」など思わず口ずさみ、卒業後入社まもない頃が思いだされた。この記念館は神峰公園の頂上にあり、4階から日立市の全景を眺めることができた。
 最後に日立駅に戻り、いわゆる「天空カフェ」として有名になった食堂で昼食をとることになった。確かに全体がガラス張りの部屋から太平洋を見ると、まるで空に浮かんでいるようで、良い天気のせいもあってその気分を満喫することができた。昼食の後日立駅からそれぞれの列車で流れ解散となった。
 この他、早めに来て吼洋寮や河原子海岸などの思い出の地を独自に回られた方もいて、写真やコメントを寄せて頂いた。このようにして2日間にわたる日立市での卒業50周年記念同級会は新しい思い出を胸に幕を閉じた。

4.おわりに
 今回の開催案内の返信で思いもかけず3名の訃報が届いた。幹事としてその都度胸がつぶれる思いであった。昨年の1名を含め4名の常連を失い、もう会うことも出来なくなってしまった。
 後期高齢者の域に達し年齢的に無理はできないが、健康に留意しつつ今後もこの会が続く限り出席したいと思う。これからはすべての機会が一期一会であると念じつつ。

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代表者:佐藤一男 卒年:昭和40年 学科:精密工学科
住所:〒319-1559茨城県北茨城市中郷町上桜井972-1 電話:0293-42-0354
メールアドレス:k.satoo@hb.tp1.jp